AならばB、BならばC、よってAならばCという三段論法で有名な演繹法。
誰が考えても、ロボットが考えても同じ結論を導き出せるのが演繹法です。
そんな演繹法は、一見すると当たり前のことを当たり前に言っているだけのように思われるかもしれません。
そこにはどんな論理の飛躍もないように見えますが、実はそうではないんです。
演繹法にもクリエイティブで、飛躍が発生しうる箇所があります。
なぜ急にBの話をしてくるのか
AならばB
が必ず成り立つということは、めちゃくちゃ当たり前のことを言っているだけ、と言えます。
2で割れるなら偶数である
なんていうのは当たり前のことです。
ですが、ここでも実は飛躍している箇所があります。
それは、なぜAの話をしていたのに急にBの話をもってくるのか、ということです。
そこには論理的な説明はありません。
例えば、
カラスならば黒い(黒くないカラスもいるぞ、というツッコミは勘弁してください)
というAならばBの例があったとして、なぜカラスの話をしていたのに、急に色の話を持ち出してくるのか、ということに関しては、話の飛躍があります。
カラスは確かに黒いのですが、なぜ色の話を突然持ちだしたのかについては、常に誰もが納得できる理由があるわけではありません。
そこには、色の話を持ちだそうとした意図、あるいはクリエイティビティが介在しているのです。
ロジカルはクリエイティブの否定ではない
このような話の飛躍を生み出すためには、創造力が必要です。
よくロジカルであることは、当たり前のことを積み重ねていくだけなので、クリエイティブではない、といったようなことが言われますが、ロジカルな話であっても、なぜそのような観点でその問題を見るのか、という点に関しては、非常にクリエイティブな力が必要です。
問題の定義から出発して、解決に至る道は必ずしも誰がやっても同じ道をたどるわけではありません。
なぜ、そのような切り口、観点で問題を眺めるのかという点については、十分あなた自身の独自の色が反映される部分なのです。
ロジカルに考えるということは、論理を緻密にたどっていくことと同時に、論理を飛躍する力も両方常に鍛える姿勢が大切なのです。