西洋の習字ともいわれるカリグラフィーですが、そもそもカリグラフィーはどのように生まれたのでしょうか?
今回はカリグラフィーの誕生と歴史についてご説明します。
カリグラフィーは彩飾として生まれた
今でこそ本は多くの人に親しまれていますが、その理由の一つには大量生産ができるようになり誰でも安価で本が手に入るようになったのが挙げられるかと思われます。
木版印刷や活版印刷が発明されて流通する以前は、本はペンで書くのが当たり前でした。そのなかでも、聖書のように宗教的な書物は、写本そのものに価値がありました。‘輝かせる’を語源とするイルミネーション技術(彩飾)が発達し、製本には宝石や象牙を使うなど、まるで宝物のように扱われたものもありました。もちろん写本の主役は文字です。カリグラフィーを用いて彩飾された文字は、写本に大きな価値を与えたのです。
イタリック体の登場とその書き方
15世紀になるとイタリック体が登場します。
イタリック体は早く書けてなおかつ美しいので、教皇庁の書体として採用され、最初の書き方マニュアルにも使われました。
その後ルネッサンスが終焉し、印刷技術が発達すると、本の生産は写本に頼る必要が無くなりました。
一方、識字率が増加した所以で、普通の人々が文字を書く機会が飛躍的に増えました。そのため多くの人の目に触れられたイタリック体は庶民の間で劇的に広まっていったのです。
カッパープレート体の登場とその書き方
17世紀になるとカッパープレート体(スクリプト体またはイングリッシュラウンドハンド体とも呼ばれる)がイギリスで登場します。
カッパープレート体は、イタリック体の美しさはそのままで、さらにイタリック体よりも早く書くことを目的に発明されました。この書体は、現在私達が使っている筆記体の元にもなっています。
印刷技術が発達している中で、さらに文字を書く速さを求められた理由は商業・貿易の発展に伴い、金銭のやり取りの際に使われる文書を速く書ける草書体が必要とされたからだと言われています。またペン先を紙から離さずに続けて書けるので、効率よく素早く書くことができ、ビジネス文書や契約書などビジネス面で多大な活躍をしました。
いかがでしたか?
日本の習字のようにカリグラフィーも歴史が長く、また現在でも多くの人に親しまれています。
歴史を知ることで少しでもカリグラフィーに興味を持っていただけたら幸いです。
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