「わかったつもり」という状態
人が物事を理解するときに、理解したときは「わかった」と言い、理解できていないと思ったら「わからない」と言いますよね。
しかし本来、物事の理解には「わかった」「わからない」だけでなく、「わかったつもり」という状態も存在しています。
「わかったつもり」というのは、中途半端に理解している状態を指します。この「わかったつもり」というのが物事の理解を妨げる曲者なのです。
「わかったつもり」の危険性 – 孫の手
「わかったつもり」は一種の「わかった」状態です。ゆえに、人は「わかった」と思ってしまうので、そこから先に進まずに現状で満足してしまいます。
しかし、実際は完全には理解していない状態です。そしてそれは、間違っているのに正しいと思いこんでいる状態である可能性もあるのです。
例えば、以下の画像の名称は何でしょうか?
たくさんの人が「孫の手」と思い浮かべることでしょう。実はこれ「孫の手」ではなく、本来は「麻姑の手」なんです。嘘だ!と思った人は何でも良いので辞書を引いてみましょう。ここではgoo辞書で「孫の手」と引いてみたいと思います。
《「麻姑(まこ)の手」の意》長さ30~60センチの竹または木の棒の先端を人の手首から先の形に作ったもの。背中をかくのに使用。→麻姑(まこ)
このように「麻姑(まこ)」という項目に行くように書かれていることがわかります。では、麻姑(まこ)の項目を見てみましょう。
《「まご」とも》
①中国の伝説上の仙女。後漢のころ姑余山で仙道を修め、鳥のように爪(つめ)が長く、それで痒(かゆ)いところを掻(か)いてもらうと、とても気持ちがよかったという。
②「孫の手」に同じ。
①に書いてあるように、中国の伝説上の仙女である麻姑の長い爪で長痒いところを掻いてもらうと気持ちが良かったことが「麻姑の手」の由来なんですね。そこから転じて、②のように、「麻姑の手」の形状が孫の小さい手のように見えるから「孫の手」と呼ばれるようになったわけです。
あなたは正しく「孫の手」を理解していましたか?このように、「麻姑の手」を「孫の手」と理解している状態が「わかったつもり」です。「わかったつもり」とは、中途半端な理解のことで「わかった」の一種なので、より深い理解には進めないのです。
わかったつもりを抜け出すには、まず「わかったつもりという状態がある」ということを理解する必要があります。そして、自分に「わかったつもり」になっていないかと自問自答することで、この「わかったつもり」という状態を回避することができます。
もし自分の理解力が低いなと思っている人がいれば、それは「わかったつもり」に陥っていて、中途半端な理解なのに「わかった」と思いこんでるからなのです。
コメント